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2013年1月20日 (日)

小説は、まさに、統御された阿片の旅である。

小説は「ヴィジョンを拡げる」効果を発揮する。
われわれの日常の意識は、侠角レンズのカメラのように狭い。
こういったカメラは、クローズアップの非常に優れた写真をとることはとるが、
その範囲は極めて限られているのである。
一方、プロの写真家は広角レンズをカメラにつけて、パノラマ的な全景を写し出す。
そして、"これ"こそまさに小説によって意識の上に作り出される効果を説明しているのである。

つまり小説は、精神に広角レンズをとりつけるのである。
小説はわれわれに、まるでカメラがぐっと空中高く舞い上り、
突然田園一帯を写し出すように、「後退する」ことを可能にする。
もちろんわれわれは、抽象的な意味ではこういったものが存在していることを常に知っている。
しかし日常という狭角レンズは、われわれがそれをはっきり見えないようにしてしまっているのだ。

多くの阿片吸引者たちが、これと同じ効果――
山なみや大海原のはるか彼方に翔け上がるような――を記している。
しかし阿片のときのヴィジョンは、夢の持っている、
こちらではどうにもならないという性質を持っている。

ところが小説は、まさに、統御された阿片の旅である。
それは広角的な意識を作り出す工夫なのである。


コリン・ウィルソン『小説のために -想像力の秘密』(鈴木建三訳・紀伊国屋書店 p.88)

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