2012年3月17日 (土)

「ぼくとぼくの生きかたは…」

「ぼくとぼくの生きかたは
ぜんぜん反りが合ってないような気がする」

彼はつぶやいた。

「なにか言ったかね?」
老人が穏やかに尋ねた。

「ああ、いえ」とアーサー。
「ただの冗談です」

ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』(安原和見訳・河出文庫)p.259)

| | コメント (0)

2012年1月24日 (火)

優雅な散文とは

散文は舞踊ではない。
散文は歩む。

そしてその歩み、あるいは歩み方によって、
その所属する種族が判明する。
頭に荷物をのせて運ぶあの住民に
ふさわしい均衡のように。

ここから次のようなことをぼくは考える。

つまり優雅な散文とは、
作家が頭の中で運んでいる
荷物の重みと相関するものであり、
これ以外の優雅さは
単に振付けの結果によるものに
過ぎないということだ。


ジャン・コクトー『言葉について』(秋山和夫訳:『ぼく自身あるいは困難な存在』所収・ちくま学芸文庫)pp.187-188

| | コメント (0)

2011年12月23日 (金)

「愛され賛美されたいと思うのは」

「人を愛し賛美するのは弱さじゃないわよ!」
「だけど愛され賛美されたいと思うのは弱さよ、ネル――私みたいな芸術家肌の人間が毒されやすい感情よ。(……)」

(アイリーン・アドラーの台詞より)
キャロル・ネルソン・ダグラス『おやすみなさい、ホームズさん(下)』(日暮雅通訳・創元推理文庫)p.221

| | コメント (0)

2010年10月 3日 (日)

枯らすなら おまへの墓場で枯らしたいから

私の深い悲しみの庭の中に
 ああ 見捨てられた私の心よ、おまへもおんなじだ、
 かまひてもないが凋(しぼ)みもしない
この貧しい詩の花も さうなのだ

とぢてしまつたおまへの眼を、昔うれしがらせたこの花を、
 おまへの墓場に植ゑさせてくれないか。
 よしや咲きさかる時がなからうとも、
枯らすなら おまへの墓場で枯らしたいから

テニスン『イン・メモリアム』 No.8より(入江直祐訳・岩波文庫)p.40
(早世した親友アーサー・ハラムを悼む詩の一部です)

| | コメント (0)

2010年8月18日 (水)

なぜ万人が美しと感ずるものを

それにしても、人間というものは、
なぜ万人が美しと感ずるものを
文字に書こうとするのだろう。

だれも味解などできもしないくせに?

ジョン・ポリドリ『吸血鬼』 (平井呈一訳:『怪奇幻想の文学Ⅰ 深紅の法悦』 所収 ・新人物往来社)p.40

| | コメント (0)

頭と手を使える仕事を

なんでもいい。
頭と手を使える仕事を見つけなければならない。
さもなければ気が狂ってしまう。

ジョン・メトカーフ 『死者の饗宴』 ( 桂千穂訳:『怪奇幻想の文学Ⅰ 深紅の法悦』 所収 ・新人物往来社)p.286

| | コメント (0)

2010年4月15日 (木)

「人の説で知ったり、人の説で考えたりするために・・・」

「…きみはほんとにきみのその目その耳を、
きみの周囲の日常生活に対してしっかり開いておらんぞ。

世の中には、きみの知らんことが山ほどあるということ、
自分の見ないようなことを見ている人があるということを、
きみは考えておるか?

人の説で知ったり、人の説で考えたりするために、
肝心のその人間の目で見ないでいることが、
世の中にはたくさんあるのだぜ」


(ヴァン・ヘルシング教授の台詞より)
ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(平井呈一訳・創元推理文庫 p.287 )

| | コメント (0)

2010年2月14日 (日)

「おお、フランケンシュタイン!」

※Spoiler Alert
小説『フランケンシュタイン』ストーリーの後半部を
推測できる台詞を含んでおります。

相手は止まって、驚いたようにぼくを見ました。
それからまた創り主の息絶えたからだに目をやると、
ぼくのことなど忘れたように、顔つきもしぐさも、
何か抑えのきかない激情に揺り動かされた様子でした。

「これもまたわが犠牲!」
と彼は叫びました。

「彼を殺しておれの罪は完成された。
このみじめな生もやっと終わりにたどりついたのだ!
おお、フランケンシュタイン!寛容と献身の人よ!

今さら赦しを請うて何になる?
自分がしたのはとりかえしもつかぬこと、
おまえの愛する者すべてを滅ぼして
おまえを滅ぼすことだったのだ。

ああ、もう冷たい。答えてはくれない」

メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』(森下弓子訳・創元推理文庫p.291)

| | コメント (0)

2010年2月 4日 (木)

…資質の最上のものが表にあらわれるため

セイラはニールが会った女性のなかで、
態度が少しも変わらないはじめての相手だった。

ニールの足をはじめて見たとき、表情は少しも変わらず、
哀れみや恐怖や驚きすら示さなかった。
その理由だけでも、ニールが彼女に夢中になるのは予想できたことだった。

セイラの人となりのあらゆる側面を目にするころには、
ニールは彼女にぞっこんになっていた。

そして、セイラといっしょにいると、
ニールの資質の最上のものが表にあらわれるため、
彼女もニールに恋した。

テッド・チャン『地獄とは神の不在なり』(『あなたの人生の物語』浅倉久志・他訳・早川書房 p.399)

| | コメント (0)

2009年9月21日 (月)

心一杯に懺悔して

心一杯に懺悔して、

恕(ゆる)されたといふ気持ちの中に、再び生きて、

僕は努力家にならうと思ふんだ――

中原中也『(吹く風を心の友と)』(『中原中也詩集』・新潮社・未刊詩篇p.235)

| | コメント (0)