2013年1月20日 (日)

小説は、まさに、統御された阿片の旅である。

小説は「ヴィジョンを拡げる」効果を発揮する。
われわれの日常の意識は、侠角レンズのカメラのように狭い。
こういったカメラは、クローズアップの非常に優れた写真をとることはとるが、
その範囲は極めて限られているのである。
一方、プロの写真家は広角レンズをカメラにつけて、パノラマ的な全景を写し出す。
そして、"これ"こそまさに小説によって意識の上に作り出される効果を説明しているのである。

つまり小説は、精神に広角レンズをとりつけるのである。
小説はわれわれに、まるでカメラがぐっと空中高く舞い上り、
突然田園一帯を写し出すように、「後退する」ことを可能にする。
もちろんわれわれは、抽象的な意味ではこういったものが存在していることを常に知っている。
しかし日常という狭角レンズは、われわれがそれをはっきり見えないようにしてしまっているのだ。

多くの阿片吸引者たちが、これと同じ効果――
山なみや大海原のはるか彼方に翔け上がるような――を記している。
しかし阿片のときのヴィジョンは、夢の持っている、
こちらではどうにもならないという性質を持っている。

ところが小説は、まさに、統御された阿片の旅である。
それは広角的な意識を作り出す工夫なのである。


コリン・ウィルソン『小説のために -想像力の秘密』(鈴木建三訳・紀伊国屋書店 p.88)

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2009年4月 1日 (水)

「もしあるタイプの小説を読むことに耐えられないのなら」

私が書き始めた頃、一般に新人作家にとって最適で、
もっとも受け容れられやすい市場は
“告白”雑誌だと見なされていた。
原稿料も高かった。

(中略)何度か告白雑誌を買うか借りるかして、
最後まで読み通そうとした。が、できなかった。
あれだけ読んだうちのただのひとつも、
すっ飛ばさずには読めなかった。
読んでいるものに集中できなかった。
表表紙から裏表紙まで、雑誌全体が
魂を腐らせるゴミでしかないという
確信を振り払えなかった。

(中略)告白ものはだめだと思っていたら、
ある週末、締め切りが迫っていて
早急に穴を埋めなければならない出版社のために
三篇書くことになった。
三篇とも出来はひどかった。
私は仕事を与えられたから書いただけ、
出版社はそうせざるを得なかったから出版しただけ。
これほどつらい原稿料はなかった。

ほかの分野で似たような経験をした書き手が
何人もいるのを知っている。
教訓はしごく単純だ。
もしあるタイプの小説を読むことに耐えられないのなら、
それを書こうとするのは時間の無駄である。

ローレンス・ブロック『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』(田口俊樹/加賀山卓朗訳・原書房)p.26-27

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2009年2月28日 (土)

「手を動かすことで創造力が」

芸術家が創作を開始したとき、

頭の中に明確な最終イメージを持っていることはほとんどない。

(中略)私にとってビジュアライゼーションの本当の作業は、

すべて、下書きと修正のなかにあった。

思うに、想像力は手を動かすほどの力を持っていないが、

もの作りに熱中しているとき、

手を動かすことで創造力が刺激された経験を持つ人は多いだろう。

スティーブン・T・キャッツ『映画監督術 SHOT BY SHOT』(津谷祐司訳・フィルムアート社)p.14

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